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歴史・文化

 
  • 佛隆寺

    施設の紹介

    弘法大師の高弟堅恵によって850年に創建されました。本尊の十一面観音菩薩立像は聖徳太子の作と伝えられます。
    樹齢900年と言われる県下最大最古の桜「千年桜」は県指定の天然記念物。見頃期間中はライトアップも行われます。
     
  • 北畠氏館跡庭園

     室町時代、伊勢国司の北畠晴具の義父だった関東管領細川高国が作った池泉観賞様式の武家書院庭園。武将の手による庭らしく素朴で豪放な魅力にあふれ、北畠氏の栄華をしのぶことができます。北畠神社境内にあり、国の名勝に指定されています。紅葉の名所としても有名です。
  • 大野寺(弥勒磨崖仏)

    施設の紹介

    大野寺は、役行者が開いたと伝わる「室生寺の西門」。
    境内には樹齢約300年の小糸枝垂れ桜があり、紅枝垂れ桜とともに咲き誇る。その姿を見るため春には多くの観光客で賑わいを見せます。
    大野寺前、宇陀川の対岸にある岩壁に刻まれた日本最大級の高さ(13.8m)を誇る弥勒磨崖仏が圧巻です。
  • 女人高野 室生寺

    施設の紹介

    室生寺は、役行者が山林修行道場として開創し、弘法大師空海が再興したとも伝わります。多くの寺が女性の立ち入りを許さなかった時代にも、女性を慈悲深く受け入れてきた歴史をもち、密教の高野山(こうやさん)や修験の大峰山 (おおみねさん)など女人禁制の聖地が多かった中で「女人高野」として親しまれてきました。そして今も、参拝者の多くが女性です。
    室生川にかかる朱塗りの太鼓橋(たいこばし)を渡るとそこは聖域。仁王像(におうぞう)が待ち構える仁王門から先に室生寺の世界が広がります。急坂の弘法大師を祀ったお堂がある奥の院までは、鎧坂(よろいざか)をはじめ、自然石を積み上げた石段が700段ほど続き、スギ木立の中、国宝や重要文化財にも指定される貴重な堂塔や、仏像の数々を拝見できます。優美で端正な姿が人気の五重塔は、高さ約16mと屋外に建つ五重塔では国内最少。金堂や弥勒堂(みろくどう)などの寺院建築も大きすぎず自然と調和した姿で、境内一面に咲くシャクナゲや紅葉とともに心を和ませてくれます。
     

    イベント

    石楠花まつり
    境内に約3000本の石楠花が咲く。見頃は4月下旬~5月上旬

    紅葉まつり
    紅葉の時期にはライトアップも行われる。見頃は10月中旬~12月初旬

    ◎屋外のものでは国内最小となる五重塔や、釈迦如来立像、十一面観音立像など、数多くの国宝を有している。また、春は桜と石楠花、夏は螢、秋は紅葉、冬には雪が積もる境内と、情緒ある日本の四季の表情が堪能できる。
  • 室生龍穴神社

    施設の紹介

    山深い清流の里・室生は、古来より竜神が住む地として、雨乞い祈願がなされる神聖な場所でした。室生寺より室生川を少しさかのぼった渓谷の入り口に龍穴神社、その奥には雨や雲を支配する龍王が住むという龍穴があり、神秘的な雰囲気に包まれます。
    当社は宇陀市室生に鎮座し、主神は高龗神をお祀りしています。高龗神は祈雨止雨の神威を具え、古来には雨乞神事も執り行われました。また、当社の上流には龍神が住むと伝わる「妙吉祥龍穴」があります。「日本紀略」には、皇太子だった桓武天皇の病気平癒を願い勅使を遣わせたとの記録があります。
  • 延寿院

    黄龍山 延寿院(現在は天台宗に属す)は今から1300余年前、神変菩薩役の行者小角が開いたものと伝えられる。往昔、役の行者が滝にうたれて秘法を修し ていたとき、不動明王が赤い目の牛に乗って出現せられたといわれ、後にその不動明王を祀り赤目不動尊として行者の守り本尊とし、堂宇を建立し今日に至った ものと伝えられる。
    しかし史実としては、今を去る900年前の承保年間、河内の人金剛仏子正縁が夢の中で三所権現のお告げにより、なばりの南方黄 滝に生身の不動明王をみ、後築智坊延増が赤目山中に千日籠居し、黄龍山聖王龍寺(又は青黄色龍寺)と号して南都東大寺の下寺として八坊を建立したと分献に 記されている。
    いずれにしても、平安朝から鎌倉時代山岳仏教の道場として栄えていた。
    鎌倉時代より室町、戦国の世にかけて仏教思想の上に 弥陀の浄土思想が興り、従来よりの密教思想や龍神信仰と相俟って赤目の滝は、その深山幽谷で滝の数も多く、龍が棲むといわれる位の底知れぬ深澤があり、弥 陀の浄土に生まれようとする浄土思想の実践にふさわしい道場であった。
    滝も「あみだが滝」と呼ばれており、48滝もこの阿弥陀如来48願からつけられたとも言われている。
    その後八坊伽藍も後三条天皇勅願により再建されたが、天正年間伊賀の乱に(伊賀忍者の修練場であったために)、織田勢によって灰燼に帰したのである。
    わずかに残ったのは、鎌倉時代の石灯籠と菊の紋章入りの巨大な鬼瓦ぐらいであった。
    後に藤堂高次公が不動院観音堂を建て、代々藤堂家の祈願所として明治維新まで庇護されてきたのである。
  • 戒長寺

    施設の紹介

    聖徳太子の創建と伝えられる、戒場山のふもとにある静かな山寺です。
    秋には葉のふちに小さな実がつく県指定の天然記念物「お葉付きいちょう」が
    境内を金色に染めます。
    拝観の際は事前に住職に連絡しておくと興味深い話も聞くことができます。
  • 日神石仏群

    平維盛の嫡男六代君(ろくだいぎみ)は、美杉町太郎生の日神にも落ち延びてきたという伝説が残っています。
    日神の仲善寺の西方墓地に、昭和44年(1969年)3月28日に三重県指定文化財となった「日神石仏群」があります。石仏群は像高約70cmの阿弥陀如来像を中心に、鎌倉末期から室町初期頃の阿弥陀、薬師、地蔵などの立像が並んでいます。この中に六代君の墓と伝えられる五輪塔2基があります。高さ約100cmで鎌倉末期頃の優品です。これらの石造物はいずれも地元で産出された大洞石(おおぼらいし)と呼ばれる溶結凝灰岩で造られています。
  • 真福院

    室町時代の作と推定される木彫蔵王権現像があります。平安末期より霊場として在原業正、平清盛などが参篭。 創建年代:白鳳時代(670年頃)
    また、境内には幹回り6.1m、樹齢1,000年以上と言われている大欅があります(県指定天然記念物)。
     
    「三多気の桜」で知られる桜並木を通り抜けた奥、真福院の山門に登る石段の下に佇む、樹齢1000年以上とも言われているケヤキの木。
    樹高約25m、胸高周囲約6.7mの重厚な主幹は、実寸以上の大きさを感じさせるほどに堂々としています。
    県の指定を受けた当時の名称は「三多気のケヤキ」で、実は二本のケヤキがありましたが、もう一本の一号樹は、残念ながら昭和48年に枯死して伐採されてしまい、現在は二号樹が残っています。
    シーズンには「三多気の桜」を味わいに多くの人で賑わいますが、このケヤキは意外と知られていないスポットです。
    1940(S15)年8月8日に県の天然記念物に指定されました。
  • 西蔵王堂

     蔵王堂は、大洞山の中腹、三多気より太郎生へ通じる旧道沿いに位置する、かつての顕岳山光照院常庵寺の境内に建てられました。常庵寺は真言宗真福院の末寺で真福院の西方に位置することから西蔵王とも呼ばれ、延宝6年(1678年)、真福院中興祐栄の弟子栄秀またはその弟快祐の草創と伝えられています。明治5年に住職が没し、翌年廃寺となった後、蔵王堂のみが残りました。本尊は木造蔵王権現立像(像高55㎝、江戸時代の作)で、その他、役行者、弘法大師の石像を祀らています。
     戦前は、三多気の桜とともに桜の名所でしたが、戦時中にすっかり伐採されてしまったと言われ、現在は境内周辺に桜等が植えられ、境内も地元有志により管理され、往時をしのばせます。